第9回研究大会報告要旨
第一報告 青谷秀紀氏(明治大学)
「『堤防の贖宥』(1515 年)とその周辺 ―ハプスブルク家の宗教政策とフランドルの都市社会― 」
15 世紀にブルゴーニュ公国を構成したネーデルラント諸邦の⼤半は神聖ローマ帝国に属するのに対し、フランドル伯領はフランス王国の⼀部であった。それらネーデルラント諸地域を継承したハプスブルク家は、独⾃の司法機関を設置するなどして伯領から王権の影響 ⼒を排除しようと試みた公家の努⼒をも引き継ぐこととなる。その結果、1529 年のカンブレ条約により、ついにフランドルはフランス王権の⼿を離れハプスブルク家の宗主権下に組み込まれた。ネーデルラント⽀配の順調な進展を思わせる流れだが、1515 年に若き⽇のカール 5 世がフランドル伯に即位した時点では、政治から⾃然環境に⾄るまで種々の危機が伯領を⾒舞っており、決して上記のような展開を楽観的に⾒通しうるものではなかった。本報告では、『堤防の贖宥』の布告をはじめ、国家形成の⽂脈では従来注⽬されることの少ないこの時期の宗教政策を中⼼に、カールとその周辺がどのようにこれらの危機に対処し、伯領⽀配を確たるものにしようとしたのかを検証したい。また、そうした政策にフランドルの都市社会がどのように反応したのかも、併せて検討したい。